不動産屋について

こんばんは。今日は、彼女と不動産屋に行ってきました。9月くらいには一緒に住みたいなと思っています。いろいろ物件を紹介されたのですが、いまいちよくわかりません。だいたいどのアパートも部屋の間略図と何帖というのが書いてあって、よくわかりません。みんな似たような家賃と間取り図と設備で、どうやって選べというのでしょうか。

アパートの大家さんというのは本当にバカですね。僕がアパートの大家さんだったらいろいろ考えますよ。例えば、駅から徒歩何分という抽象的な情報ではなく、周辺にどんなお店があるのかとか、その土地の歴史だとか、まわりにどんな木が生えてるとか、どんな行事があるのかとか、ちょっとしたことだっていいじゃないですか。こうやって考えてみると現代において不動産屋というのは必要ないんじゃないかと思えてきます。

均一なデータというのは情報量が少ないです。情報理論でも明らかなように、情報量とは確率によって定義されているのです。必要なのは、不均一なデータの提供拠点、かつ信頼感のある不動産屋です。不動産屋でなくとも、もっと入居者の役に立つシステムをwebで構築することが可能です。問題は、信頼感をどうやって担保するのかということになりますが、そこは工夫次第だと思います。

ここで視点を変えてみて、では、なぜ不動産屋というものが存在するのか、と考えてみます。僕が思うことはこうです。入居者ではなく、大家さん側の利益を担保するための仕組みとして不動産屋は存在するのではないか。わざとデータを均一にし、情報量を少なくすることで、入居者がどの物件を選択するのか、という確率を分散させ、大家さん側もひきつける必要があるのです。

僕がもし不動産のwebシステムを開発するとしたら、大家さん側の利益と入居者側の利益を均衡させるようなシステムをつくります。具体的には、入居者と大家さんが直接web上で会話をする、もしくは、入居者がレベルを上げるごとに物件の情報が開示されていくようにするのです。大家さん側は、このしくみにより、低レベルな入居者を排除することができます。ただし、金銭的なレベルではありません。入居者がレベルを上げるにはあるクイズを解けばいいのですが、その設問は大家さん側が設定します。その設定の仕方をみて、入居者は、低レベルな大家さんを排除することができます。