大学卒業

大学を先日卒業しました。
卒業して感じたことは、もう学問には興味が無いということです。
カリキュラムや教科書や本などは無視してよかったのだ、と今になってやっとわかりました。
授業を頻繁にさぼっていた僕としては、カリキュラムはともかく、教科書や本の問題をこなしたり、理解したりすることに執着しすぎていたのではないかということです。

本を読むことは、とくに古典を読むことは、他の人とのコミュニケーションに役立ちます。その本を読むことによって共有する、専用の言語体系、文脈ができるからです。しかし、その言語体系は思考を助けるものであると同時に、思考を縛るものでもあるのです。思考が縛られると身体が縛られます。職人の手の皮膚が分厚くなっていくように、思考という作業によって、自分の抽象的な皮膚が分厚くなっていくような感じがします。

皮膚が分厚くなっていくことは、ある意味ではいいことなのです。それは、デカルト的対立の解消であるからです。職人がノミで木を削るとき、職人は木とノミに同化します。そのとき職人はその同化の度合いの分だけの自由を得ることができるのです。

しかし、デカルト的対立の解消が一方向的なものになってしまうことが逆にデカルト的対立を招いてしまうことがあるのです。

今、僕が目指しているのは、その多方向デカルト的対立の解消なのです。まずは、その可能性を探って見ねばなりません。